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学習「走ることについて語るときに僕の語ること」2

2008-02-11 Mon

毎週月曜日はテーマ学習です。

今月のテキストは村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」。

この本は濃いですね。表面的にはサラッとしていますが、内容があります。村上春樹という人物が「走ること」を媒体に自らの作品と自らの生き方を語るということが、どれほどインパクトのあることか、ということなんですね。ササッと「走ること」の感想で流そうとしましたが、あれこれ考え出すとなかなか感想を書くのはむずかしい。

小説への取り組み姿勢、そしてなぜ村上春樹が今メモワールを語るのか、そのあたりがこの本に対するあるべき批評の核心ポイントだと思います。それを語るには残念ながらちょっと周辺知識がなさ過ぎます。もう少し時間を下さい。私なりに準備して考えをまとめようと思っています。うまくいくかどうかわかりませんが。

では今回分を始めます。

本書では筆者が「走ること」と生きることを真正面から関連づけて語っています。「走ること」のきっかけ・取り組み方・映る風景・感じること・他競技(ウルトラ・トライアスロン)への流れ。そして「走ること」と小説を書くことの関連。結果的に「走ること」と生き方の姿勢との関係。

これらを淡々と自然に、ほんの少しの気取りも織り交ぜながら話は展開されていきます。内容が筆者のリアルな生き方考え方に触れるだけに、静かに語られてはいますがちょっと怖いくらいの迫力を感じます、その正しさと真面目さゆえに。

「走ること」は全身を使うフィジカルな運動で、しかも定期的かつ長時間行うので、肉体だけでなく感情や思考までコミットします。だから必然的に生き方の姿勢まで話が及びます。それゆえ「走ること」は、たとえば「切手収集」とか「グルメ旅」なんて趣味趣向とは質的に全然違う営みなんですね。

「走ること」がどういう感情と思考を呼び起こすか、それが見事に語られています。静かだけど的確な表現で。文体は簡潔にして明瞭、比喩もいい。「走ること」で風景がどう映るのか、季節がどう感じられるのか、問題とどう向かい合っていくのか、自分とどう対峙していくのか、などなど。

私もランナー(ジョガーです)の端くれ中の端くれですので、うーんなるほどそーだそーだそーなんだよとじわじわ感動感銘しました。そこらへんの箇所はとてもとても多いのでここでは省きますが、走るってこういうことなんですよ、ね、わかりますよね、走るみなさん、って思わず言いたくなります。

ただ「走ること」と生き方の結び付けが多く語られるあまり、「走ること」の楽しさとか、食生活との関連とか、運動生理学的な見地からの分析などの話が出てこないことが私個人的には残念な気がします。走らない人が聞いたら「走ること」がさぞつらかろうと思うのではという懸念から。

楽しさは有酸素運動時のエンドルフィン効果の関連話、食生活では長時間有酸素運動時に必要な栄養素の内容や摂取方法・カーボローディングの方法など、運動生理学的には有酸素運動と毛細血管活性化によるトレーニング方法の改善とか。そう言えば、本書に「有酸素運動」という言葉が1回も出てきませんでした。

「走ること」を苦痛の忍耐としてとらえるのではなく、楽しく効果的に行う材料を織り交ぜて苦しさイメージを和らげるという展開も、もう少しはあってもいいのではと思いました。

それと「走ること」の技術論や科学的アプローチの話も欲しかったですね。これも全編に漂う筋肉痛イメージの濃度を中和する効果をねらって、という意味で、です。

とても細かいことかもしれませんが、少し引っかかったところが、食生活について語っているほんの少しの部分。走り始めて体が変化する語りで(P63)、
「それにつれて食べるものも少しずつ変化してきた。食事は野菜が中心になり、蛋白質は主に魚からとるようになった。もともと肉はあまり好きではないのだが、その傾向はますますはっきりしてきた。米飯は少なくし、酒量を減らし、自然素材の調味料を使う。」

蛋白質は魚から、肉はだめ。これはランナーとして正しいとありようだと思います。走るとそうなります。ただ、米飯は少なくし、この表現が疑問です。炭水化物はランニングのエネルギー源なので、これがないと走れません、長距離は。当時はそう思った、今はそうじゃないけど、ということなのでしょうか。

蛇足ですが、これを筋肉中に効果的に蓄積させる方法をカーボローディングといいます。フルマラソンとトライアスロンのレースに出場する筆者ならやっているものと推測しますが、記述はありませんでした。

第8章の終わりの「僕は空を見上げる」からの文章。このあたり、ちょっと照れくさい展開。もっと自信持ったらいかがでしょうかと思わず言いたくなります。でも最後は「愛着のようなものがある」。あ、そうですか、やっぱり、でしょ、という感じ。

最終章の墓碑銘。これも照れくさいでしょう。「少なくとも最後まで歩かなかった」。これはちょっと浮きます。「フルマラソン出場nn回。最後まで走り通すことに挑んだ」くらいの表現のほうがナチュラルだと思うんですが、ここでは。いかがでしょうか。

まぁともに章の最後で結びの演出効果をねらったものと読めばいいんですが。

で、最終のあたりでも、「えへへ」とか言って照れて頭ポリポリ、って様子が見える構成が欲しかったですね。その方がカッコいい。それまで十分カッコよかったんだから、誰が読んでも。

次回に続きます。

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