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再開発を選んだ街・小石川1丁目

2008-07-25 Fri

根津界隈シリーズ、第28話。再開発を選んだ小石川1丁目のお話。

根津は千代田線で大手町まで駅3つという位地にある。同じ区内で同じような位地にあるのが春日だ。都営三田線で大手町まで駅3つ、住所で言うと小石川1丁目付近にあたる。この街が再開発され新しい街に変わりつつある。再開発の先鞭をつけたのが、2003年に完成した小石川アトラスタワーだ。

春日駅のある小石川1丁目のアトラスタワー

都内のあちこちで街の再開発が行なわれている。工場や法人施設の跡地を利用する例も多々あるが、住民が住んでいる家や土地を調整して根こそぎ造り変えてしまうやり方もある。アトラスタワーは後者の例だ。

他にも後者の例として、大規模な例が六本木ヒルズだろう。会社跡地以外にも元々民家の密集地があった場所だ。森ビルが行なう六本木再開発の一環として行なわれている。他に荒川区汐入地区の再開発がある。これは自治体が主導している。ともに再開発の前と後では風景に劇的な差がある。

中規模な例としては元麻布ヒルズ白金アエルシティがそうだろう。アトラスタワーはこれより規模は小さい。街並みの一角約100M四方がまるごと変わった。

工場や法人施設の跡地利用の場合は地権者の居住問題の調整は少ないだろうが、対象地上に家を持つ住民がいる場合、再開発の利害調整は困難を極めることは容易に想像がつく。

小石川1丁目が再開発に至るには、様々な要因があったのだろう。元の柳町商店街一帯は昔から木造民家密集地だった。調整に調整を重ねて実現したのだろう。

バブル期に小石川地区は地上げの嵐に翻弄された。その後の再開発である。そのプロセスや是非をここで述べるつもりはない。再開発の結果を見て感じることを書こうと思う。


まず第一に見た目がよくなった。ごちゃごちゃと密集した老朽木造家屋が高層マンションと周囲の緑あるスペースに置き換わった。防災上の安全度は格段に向上した。

アトラスタワーと隣家の間にとられた緑のスペース

高層マンションの外観はかつて自治体が再開発で建設した高層アパートとは雲泥の差がある。民間が主導し採算性を重視して分譲するから、とても高価にはなるが都市美観上の問題は少ない。

つまり街の再開発に名を借りたデベロッパーの利潤追求が、結果的に都市美観の問題もクリアしているということだ。かつての自治体による都市再開発の結果とは大きく異なる。

話は横道にそれるが、かつて実施された都市再開発が今現在、街の景観を損ね発展を妨げている例が多く見られる。

昭和40〜50年代に自治体によって建てられた高層アパートは、密集問題の解消と住民の居住保証を実現したが、現在残存するその建物が都市景観上問題があることは誰の目にも明らかな例が多い。この問題は表沙汰になることは少ないが、問題視する方々は多いと思う。

このあたりは別途述べようと思う。

本論に戻す。いずれにせよ、今まで老朽木造家屋が密集していた街が高層マンションとその周辺の緑豊かな空間に生まれ変わったのだ。住民たちの居住問題が解決したかどうかはここでは省くが、少なくとも都市景観上の問題と防災問題は解決した。

高層であることとデザインそのもの良否については意見の分かれるところだが、景観と機能の問題は解決している。

さらに、この地域ではアトラスタワーの実現を機に周辺地の再開発が次々と続いた。アトラスタワーの成功が次なる再開発を誘発した。老朽化した民家の密集地域の再生が、街の利便性を高め元々備えていた土地の潜在的な価値をさらに向上させた。

その結果、高層マンションが次々と建ち大手スーパーも出店した。アトラスタワーから数棟先の高層マンションにクィーンズ伊勢丹が入った。元々この地域には中型スーパーが1店しかなかったが、2店目の、それも大手の誘致に成功した。周辺住民は大いに恩恵にあずかったはずだ。

周辺のマンションに出店したクィーンズ伊勢丹

これが小石川1丁目の住民が選択した道だ。住民の総意が新しい街のあり方を決めたのだ。ただし選択した住民が今でも同じ地番上に住んでいるかどうかは知らない。


一方の根津だが、春日と似た立地条件の根津に再開発の話はない。

根津の街は昔から庶民が住む小さな家並みのままだ。戦災を受けなかったせいもあるし、高台のある千駄木や弥生、谷中、池之端に比べ川沿い(今はもうないが)の低地のせいで、昔から大きなお屋敷が建つ環境ではなかった。庶民が小さいながらも小綺麗で清潔な自宅を、たとえそれが長屋状態でも、愛着を持って住んできた土地柄だ。

根津の裏みちで見られる小ぎれいな密集民家

大手のスーパーが出店するスペースもない。愛すべき中堅スーパー赤札堂があるのみだ。大手スーパーどころか大手コンビニすらない。出店する側の問題なのか受け入れる街の側の問題なのかはわからない。とにかく生活する身にとっては不便だ。

でも根津には根津の良さがある。再開発で得られる利便性を超えたものを住民が共有している。街の住民の総意がこうした現在の姿なのだ。


東京という大きな入れ物で考えるならば、小石川1丁目のような街もあれば根津のような街もあり、そういう多様性を許容することが東京全体の街の個性を創っていくのだろう。

元々無秩序に膨張した街だから、ヨーロッパの都市のように統一的な計画による再開発の立案は不可能だろう。しかし無秩序だからこそ局所的には新しい秩序を打ち立てる自由もある。新しい秩序を選択するのは住む人であり来る人なのだ。

元麻布の大使館街の裏に長屋の街があってもいいし、他所から見に来る観光客向けに造られる代官山や原宿みたいな街があってもいいと思う。コリアタウンがあってもいいし、ドヤ街があってもいい。それは住む人来る人が決めることなのだ。

やってはいけないのは、自然の摂理に反することと、人々の心に暴力的高圧的に映る建造物を造ることだ。前者はエコや地球環境の視点で判断されるし、後者は誰の目にも明らかに映る。後者については別途記そうと思う。


別途記すことがいくつか出た。今後の記事に注目いただきたい。

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